透木釜と平蜘蛛釜
1.はじめに
「透木釜」という種類の茶釜がある。流派によって違うが3、4月の暖かくなってから使う「炉釜」である[1]。
裏千家の教則本[3]には「風炉」の季節にも使うと出ているが月釜・ネットでもほとんど見ることがない。見かけるのは鳳凰風炉に富士釜なり百佗釜を取り合わせたものだが風情は切掛風炉と何ら変わることがない。以前、千紀園のHPに「唐金の透木風炉」に「霰姥口切掛釜」を載せた画像が出ていた。納まりはいいが透木釜でないのが残念。
最近、外径8寸(24cm)の小さな透木釜を入手したので外径「尺1」[5]の透木釜・(透木)平蜘蛛釜を含め、風炉での使用について考察したい。
羽径 | 本体径 | 口径 | 全高 | 鍔上 | 鍔下 | 備考 | |
透木釜 帯霰紋 | 33 | 24.5 | 12 | 13.4 | 6.4 | 6.6 | |
(透木)平蜘蛛釜 | 32 | 24.5 | 15.5 | 12.5 | 6.5 | 5.5 | 鏊取手 九州国立博物館 銀杏の図平蜘蛛釜写し |
小透木釜 菊桐紋 | 24 | 19.5 | 11 | 12.2 | 6.1 | 5.8 | |
(参考)裏甲釜 | 33.5 | 26.5 | 11.5 | 17.0 | 8.0 | 9.0 | 宗旦好 端立を透木に載せた状態で |
(参考)古茶飯釜 | 30 | 24.0 | 23.0 | 12.5 | 6.0 | 6.5 | 鏊取手 |
2.茶釜と風炉
透木釜に入る前に茶釜の歴史を整理しておく。
茶釜は台子と共に伝来し風炉は唐金切掛風炉(きりかけ、切合(きりあわせ))で真形釜・切掛釜を使用している。風炉には、朝鮮風炉・琉球風炉・鬼面風炉があり、これらは金物の風炉である。紹鴎の時代に奈良風炉(土風炉)が出て、同時代に板風炉[6]も出た。(注:この時点では五徳の使用はない)。
3.透木釜の歴史
釜の歴史を見ると初めに「真形釜」、「透木釜」で、その後「羽落ちの釜」ということになる。五徳の使用にともない「透木釜」はその使用範囲を狭められた。
調べてみると紹鴎の頃までは真台子には「透木釜」を使っていたが、利休が好まなかったため隅っこに追いやられたようだ[8]。「茶道 利休編、利休の茶会」[9]の利休茶会道具回数一覧によると使われた釜は次の通りである。
「四方釜48、霰釜15、雲龍釜11、桐釜6、拝領釜5、大釜3、平釜1」
このうち平釜は「松屋久政筆記」の永禄十丁卯、十二月二十六日、「いろり 平釜 袖くさり」と記載されており釣釜で使用している。利休茶会でも初期の方である。
4.平蜘蛛釜
4.1 平蜘蛛釜について
平蜘蛛釜は松永久秀の逸話で有名であるがネットで検索すると様々な形状の平蜘蛛釜が出てくる。個人的には九州国立博物館収蔵の「平蜘蛛釜」とGALLERY KIANの「平蜘蛛釜・板風炉」が本来の姿かと考える。驚くべきはその高さ。元々、竈に掛けて煮炊き用に使用したものと考えられているので「大口・平底」が基本。東京国立博物館にも共蓋の平蜘蛛釜があるようだが詳細寸法は不明。過去にネット取引された情報も記載しておく。
羽径 | 口径 | 全高 | 環付等 | ||
九州国立博物館収蔵 | 平蜘蛛釜 | 28.8 | 16.6 | 9.5 | 遠山 |
GALLERY KIAN | 素文平蜘蛛釜 | 29.0 | 17.0 | 9.7 | 遠山 |
ネット取引 | 古天明茶屋羽釜 | 27.6 | 17.5 | 9.0 | 遠山・共蓋 |
東京国立博物館 | 平蜘蛛釜 | - | - | - | 共蓋 |
芦屋町立歴史民俗資料館 | 素文平蜘蛛釜 | - | - | - | 鏊取手 |
(参考)手持ち | (透木)平蜘蛛 | 32.0 | 15.5 | 12.5 | 鏊取手 |
ただ、これらの釜を透木で炉に入れようとしても落ちてしまう。また、釜の鍔上が1/2としても5cm弱しかなく厚さ4分の炉用透木をいれても炉縁の高さ2寸2分(6.6cm)より低く炉縁より釜の蓋が下がってしまい柄杓を釜の口へ落とせない。なので「釣釜」なり「風炉・板風炉」で使用していた釜と推測される。ただし、鏊取手の場合ここに釣釜用の大鐶(釻)を付けると大鐶が横に動く可能性があるので何らかの工夫が必要。
上記以外の平蜘蛛釜は透木釜として使用するための「透木平蜘蛛釜」と呼ぶのが相応しい。
4.2 (透木)平蜘蛛釜を炉にセットする
手持ちの平蜘蛛釜を炉にセットする。炉に架かるのが片側1cmなので落ちはしないが見た目が危なっかしい。何かないかとネットで探していたら竈に使う「金輪・鉄輪(かなわ)」というものがあることがわかた。鋳物で9寸(270/347)の物が炉縁内側寸法(352㎜)より小さくぴったりなのだが販売されていない。
釜を掛けたところ | 掛りが少なく不安定 | ホンマの組蓋 | 風炉用透木をセット | 釜を掛けたところ | 安定 |
※炉壇のアゴ(透木が載る)寸法は片側(352-300)/2=26㎜、炉用透木の幅は7分(21㎜)。
5.古茶飯釜 注:宗旦好みの茶飯釜と区別するため「古」を付ける。
現在、茶飯釜と言えば宗旦好みで清巌宗渭の「飢来飯」「渇来茶」が鋳出しである釜を釣釜で使うのがほとんどだが、古い書物には「平釜・皆口・鍔付」の釜が茶飯釜として出ている。透木釜として使えそうだが、手持ちの釜の場合外径が30cmで炉の中に落ちてしまう。また、鏊取手なので釣るには振れ止めの工夫が必要となる。(透木)平蜘蛛釜と同じように風炉で使うための釜ではないかと考察する。
6.透木釜を風炉で使う
炉で使う「透木釜」の外径は「尺1.5」(352㎜)以下でないと炉に入らない(注:炉縁を加工して大きな釜を入れて使用している例はある)。この釜を風炉にのせるには「尺2」の透木風炉が必要になる。ただ、真台子で使用するためか「眉風炉」が多い(注:五徳を使う眉風炉は台子に使用する「真」の扱いで、唐金切掛風炉に準ずる)。
(透木)平蜘蛛釜を尺1の風炉に載せてみた。サイズはピッタリ。普通の透木釜だと釜の羽根が出てしまう。やはり尺2の風炉が必要。
7.小さな透木釜を使う
外径8寸の透木釜は紅鉢にすっぽり収まりいい感じなのだが、五徳を使ったのでは「透木釜」の意味がない。唐金切掛風炉が使えるがバランスが良くない。土風炉で小さなものを探しているがまだ見つからない。と、ここで手持ちの信楽の風炉が使えそうだと気が付いた。信楽の風炉なら「土」なので五行棚に収めても問題ないか。
ホンマの組蓋を購入したのでこれを使って(外側から3枚目)尺0の風炉に載せてみた。組蓋の鍔をかわすため炉の透木を使用している。
尺1+(透木)平蜘蛛釜 | 信楽+小透木釜 | 尺0+組蓋+小透木釜 | 紅鉢+小透木釜 |
8.終わりに
現在、「透木釜」は4月(裏)にしか見かけないが「釣釜」とともにもっと自由に使っても良いのではと思う。
※脚 注
1.透木釜の使用時期
1.1 ここで話題にしている「透木釜」とは「鍔のある平釜。
透木釜の有名所は「桜川」で使用時期が3・4月のためこの釜を見かけることが多い。
次は裏甲釜/裏鏊釜(※)で与次郎が天明の鏊(やきなべ)の底に穴をあけ口として底を付けた釜で利休所持。現在裏甲釜と言われるのは宗旦好。
※鏨と表示しているHPもあるがこの漢字は「たがね」で誤用
文献等未確認なのだが、宗旦好の釜は端立を付けて「透木釜」として使う以外にも普通に「炉釜」、「釣釜」としても使えるのではと思ったのでやってみた。
釣釜は炉壇との隙間が少ないので本炉壇だと心配だが銅炉壇なので多少ぶつけても。
尺1の風炉に載せてみた。重ね餅のようで嫌う向きもあるが、正月の鏡餅は「福が重なる」「円満に年を重ねる」とめでたいのでねらって使うのはアリか。
定番の透木釜として | 釣釜として | 炉釜として | 尺1の風炉と |
1.2 表・武者小路千家:3月、裏千家:4月
1.3 茶の湯質問室 川島宗敏 淡交社
(問)釣釜は四月にしますか
釣釜は春の彼岸頃から、四月十日か十五日頃までです。四月十日から立夏の前日までは透木扱いにします(注:炉の季節)。
2.透木釜の好み
2.1 茶の湯質問室 川島宗敏 淡交社
(問)歴代の宗匠の好まれた釜(裏)
・利休 透木釜
・宗旦 裏鏊(うらごう)釜
・一燈 又隠四方透木釜
・又玅斎 透木釜
・淡々斎 裏鏊釜?
上記以外に「茶道器物編(二)、茶の湯釜、瀬川昌耆」の中に初風炉茶会の記載があり「又、幻庵の釜は「少庵好道也霰平透木釜」とあり。」と少庵好みの透木釜があったことを伝えている。
2.2 表千家ほか
・原叟 百佗釜 鏊取手(ごうとって) 板風炉に取合せ
・原叟 乙御前
・庸軒 霰富士釜 藤村庸軒 宗旦四天王
2.3 その他の透木釜
平蜘蛛釜、桜川、透木笠釜、浪花屋透木釜、車軸形透木釜、千本松釜、達磨釜。この他に置炉用の釜がある。
2.4 透木の好みと寸法
・利休:厚朴、宗旦:桐、竺叟斎(裏七代):桜、円能斎(裏十三代):梅
・遠州:朴、黒柿(蒲鉾型)
注:厚朴 「ほお」とふりがなをつけている本もあるがもとは「厚い朴」。本来の読みは「こうぼく」で朴木の漢名
・炉 用 長さ:三寸九分 幅:七分 厚さ:四分
・風炉用 長さ:三寸 幅:六分五厘 厚さ:三分八厘
3.特殊点前風炉 千 宗室 淡交社 透木の扱い
「また、風炉の季節にも行い、目的は炉の場合と同じで、なるべく炭火を客に見せないためですから、極暑の時期に行います。」と、風炉の時期に関する記載があるが写真等はない。
4.透木釜の使用時期を決めたのは
透木釜の好みが表六代原叟宗左覚々斎と裏八代一燈宗室(原叟の三男)にみられる。二人は親子関係でありこの時期に決めたのではないかと思われるがはっきりしない。また、透木は裏七代竺叟斎(原叟の次男)の好みが伝わっている。
この頃、裏八代一燈宗室、兄の表七代如心斎が二人の参禅の師である無学和尚の助力により「七事式」が創定されたので様々なことが話し合われたとが想像される。
5.土風炉のサイズは「尺0」(29.5cm)、「尺1」(33cm)、「尺2」(35.5cm)と表す。
6.板風炉
中置き、名残りの時期に使用される。 33cm角、高25.5cm。
板風炉の好みも伝わっている。
※板風炉が出てくる会記
・松屋久好会記 天正14年(1586) 堺松江隆専へ久好壹人 座敷四畳敷 板風炉眞釜
・宗湛日記 文禄三年(1594)四月二日 かべに楚石の文字懸て、板ふろに釜
※板風炉の好み(「茶の湯実践講座 風炉の灰型」に写真が掲載)
・利 休 杉 土壇丸
・宗 旦 桐木地 土壇角
・玄々斎 焼杉 土壇丸
・覚々斎 松 上板四方切り落し二つに割る
7.田中仙樵全集3 田中仙樵 茶道の研究社 5章釜の部分、二釜の羽落ち
昔の釜は、真成り釜の如く、羽のある釜が多く、是を利用して、竈に掛けたり、五徳の輪に掛けて、三本脚を下にして湯を沸かしたものである。釣釜が出来、五徳が三本脚を上にして載せるに至て、自然、此羽の必要が無くなり、煙返しとして幅狭く残したり、(注:後の記述で訂正)或は丸釜の如く羽の無い釜が多くなった。
8.①名器がたどった歴史 筒井紘一 主婦の友社 松永久秀の「平蜘蛛釜」の項
・表面には蜘蛛が鋳付けてあり、湯がたぎるにつれて蜘蛛がはいまわるように見えた
・紹鴎の頃までは、真塗の台子の時は、かならず平釜を真の風炉にかけて茶の湯を行うことを定石としていた
・利休の時になると、「平釜は見分よからすとて好まさりしより、世上に用いず、すたりし」
以上、「茶湯古事談」 近松茂矩/撰 元文4(1739)頃
②利休の逸話 筒井紘一 淡交社 第六章 茶法と点前 [20]炭手前
・古風の真の釜はすきすゑなり、小板も大小有て、大風炉には小板を用ひ、小風炉には大板をせし也 (長闇堂記)
9.「利休の茶会」は天文6丁酉(1537)二月十三日朝~天正19(1591)閏正月二十四日朝までの「松屋久政筆記」、「宗及茶湯日記」、「今井宗久茶湯書拔」、「宗及日記」、「宗湛茶会献音記」、「松屋久好筆記」、「利休百会記(官休庵本)」をまとめたものである。